去る10月29日の夜、韓国ソウル市内の繁華街梨泰院(イテウォン)で、ハロウィンの仮装パレードに繰り出していた人々が、狭い道路に密集していたところ将棋倒しとなり、これまでに154人の死亡が確認されたとの報道である。死者の大半が圧死ともされるが、中には、立ったまま押し潰された人もいたとのことで、あまりにも悲惨な事故となった。SNSの投稿映像などを見ると、群衆が狭い道路にすし詰め状態のまま塊となって動いており、これでは危険を察知したとしても、脱出は困難であったと思う。
いつの頃からか、日本でもハロウィンのイベントが行われるようになり、仮装パレードなどに参加する人々もいる。2018年には、渋谷でハロウィンの仮装パレードに集まった人々の一部が騒動を起こし、車をひっくり返したりの器物損壊や、暴力行為や痴漢などの犯罪に及んだ者たちなど、逮捕者が出たことは記憶に新しい。テーマパークなどのイベントならまだしも、公共の場で仮装パレードを行うことはいかがなものか。現に、コロナ前には毎年ハロウィンの仮装パレードが行われていた、首都圏にある大都市の商店街組合の人々に直接聞いたところでは、参加者はコンビニなどは利用しても、商店街の店はほとんど利用せず、その日は常連客が敬遠して売り上げも下がり、騒音やゴミの問題もあって、むしろ迷惑だと言う。
社会的な存在意義や治安維持という観点からすると、ハロウィンのイベントは、少なくとも公共の場所で不特定多数が参加できる形では行うべきはないと思う。どうしても、ハロウィンを楽しみたい人は、彼らだけで貸切の場所にでも集まって、全く私的なイベントとして行うべきであろう。それはさておき、ハロウィンとは、その起源においても、現代における実情においても、私たちにとっては、本来決して関わってはいけないものである。何故なら、その本質は、悪霊共らと一緒になって、悪魔を崇拝するイベントであるからだ。そのルーツは、古代ケルト人らが信仰していたドルイド教のサウィン祭であり、それは、悪霊を召喚して悪魔に人身御供を捧げる儀式である。ハロウィンのシンボル的な、人の顔を模してくり抜かれたカボチャは、ジャック・オー・ランタンと称されるが、その由来は、生贄の人を差し出した家の前に置かれた、人肉が詰められたカボチャである。ドルイド祭司らは、「トリック・オア・トリート」と叫びながら、生贄を求めて家々を訪れたと言う。生贄とされた人々は、悪魔に捧げる犠牲の供え物として、生きたまま焼き殺されたのである。
ハロウィンは「クリスマス」と同じく、キリスト教の行事であると思っている人も多いと思うが、もちろん、これは誤解である。カトリック教会では、毎年11月1日を「諸聖人の日」と定めているが、一部のプロテスタント教会では、この日を「万聖節」として死者を記念する日としている。もちろん、そのような教えは聖書には無いが、キリスト教化される前のヨーロッパで広く普及していた、死者を祭る日をキリスト教的な装いに変えたのが始まりである。言わば、ヨーロッパ版の「お盆」のような行事であり、その本来の考え方は、死者の霊を呼び戻すことを禁じている聖書の教えとは矛盾している。万聖節の前日の異教由来のイベントに、キリスト教的な化粧を施したとしても、その本質が一新されている訳ではなく、霊的意味合いは変わらないと思う。すなわち、ハロウィンは、悪魔崇拝と密接に関係しており、クリスチャンはもちろんのこと、誰も関わるべきではない。まして、例え意味が分からずとも、祝うなどはもってのほかである。
かつてそうであったように、今日でも、ハロウィンは悪霊共の祭典であることに変わりは無い。遊びのつもりで、気軽に楽しむようなイベントではないのである。知らずにであっても、関われば、悪霊共の呪いに対して接点を持つことにもなってしまう。恐らくは、この時期には世界の至る所で、生贄として殺される人々、特に子供たちがいると思う。今般のソウル市イテウォンの事故も、悪魔崇拝者たちが人々に呪いをかけたことにより、悪霊の仕業を呼び起こした可能性が高い。彼らの祭典には、悪魔に捧げる血の犠牲を必要とするからである。「イテウォンの悲劇」をきっかけに、ハロウィンの真実について自分で調べ、その悪魔性と危険性に気づく人が少しでも増えると良いのだが…。
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いつの頃からか、日本でもハロウィンのイベントが行われるようになり、仮装パレードなどに参加する人々もいる。2018年には、渋谷でハロウィンの仮装パレードに集まった人々の一部が騒動を起こし、車をひっくり返したりの器物損壊や、暴力行為や痴漢などの犯罪に及んだ者たちなど、逮捕者が出たことは記憶に新しい。テーマパークなどのイベントならまだしも、公共の場で仮装パレードを行うことはいかがなものか。現に、コロナ前には毎年ハロウィンの仮装パレードが行われていた、首都圏にある大都市の商店街組合の人々に直接聞いたところでは、参加者はコンビニなどは利用しても、商店街の店はほとんど利用せず、その日は常連客が敬遠して売り上げも下がり、騒音やゴミの問題もあって、むしろ迷惑だと言う。
社会的な存在意義や治安維持という観点からすると、ハロウィンのイベントは、少なくとも公共の場所で不特定多数が参加できる形では行うべきはないと思う。どうしても、ハロウィンを楽しみたい人は、彼らだけで貸切の場所にでも集まって、全く私的なイベントとして行うべきであろう。それはさておき、ハロウィンとは、その起源においても、現代における実情においても、私たちにとっては、本来決して関わってはいけないものである。何故なら、その本質は、悪霊共らと一緒になって、悪魔を崇拝するイベントであるからだ。そのルーツは、古代ケルト人らが信仰していたドルイド教のサウィン祭であり、それは、悪霊を召喚して悪魔に人身御供を捧げる儀式である。ハロウィンのシンボル的な、人の顔を模してくり抜かれたカボチャは、ジャック・オー・ランタンと称されるが、その由来は、生贄の人を差し出した家の前に置かれた、人肉が詰められたカボチャである。ドルイド祭司らは、「トリック・オア・トリート」と叫びながら、生贄を求めて家々を訪れたと言う。生贄とされた人々は、悪魔に捧げる犠牲の供え物として、生きたまま焼き殺されたのである。
ハロウィンは「クリスマス」と同じく、キリスト教の行事であると思っている人も多いと思うが、もちろん、これは誤解である。カトリック教会では、毎年11月1日を「諸聖人の日」と定めているが、一部のプロテスタント教会では、この日を「万聖節」として死者を記念する日としている。もちろん、そのような教えは聖書には無いが、キリスト教化される前のヨーロッパで広く普及していた、死者を祭る日をキリスト教的な装いに変えたのが始まりである。言わば、ヨーロッパ版の「お盆」のような行事であり、その本来の考え方は、死者の霊を呼び戻すことを禁じている聖書の教えとは矛盾している。万聖節の前日の異教由来のイベントに、キリスト教的な化粧を施したとしても、その本質が一新されている訳ではなく、霊的意味合いは変わらないと思う。すなわち、ハロウィンは、悪魔崇拝と密接に関係しており、クリスチャンはもちろんのこと、誰も関わるべきではない。まして、例え意味が分からずとも、祝うなどはもってのほかである。
「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない」(申命記 18:10-11 新共同訳)
かつてそうであったように、今日でも、ハロウィンは悪霊共の祭典であることに変わりは無い。遊びのつもりで、気軽に楽しむようなイベントではないのである。知らずにであっても、関われば、悪霊共の呪いに対して接点を持つことにもなってしまう。恐らくは、この時期には世界の至る所で、生贄として殺される人々、特に子供たちがいると思う。今般のソウル市イテウォンの事故も、悪魔崇拝者たちが人々に呪いをかけたことにより、悪霊の仕業を呼び起こした可能性が高い。彼らの祭典には、悪魔に捧げる血の犠牲を必要とするからである。「イテウォンの悲劇」をきっかけに、ハロウィンの真実について自分で調べ、その悪魔性と危険性に気づく人が少しでも増えると良いのだが…。