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なぜ日本だけが?(記事No.131)

 多くの国民の反対の声も黙殺され、安倍元首相の「国葬」が挙行された。書くのも虚しいが、安倍氏は彼の熱烈な支持者たちが言うような愛国者でも保守政治家でもなく、自民党内で希少となった良識ある議員の1人である村上誠一郎衆議院議員が喝破したように、「国賊」そのものであったと思う。2012年12月の第2次安倍政権発足から首相退任までの約7年9ヶ月の間に、日本は社会の劣化と国力の衰退が大きく進んだことは事実である。一例を挙げるなら、日本の1人あたりの国内総生産(GDP)は、1995年時点で世界第3位であったが、2012年には世界第13位に低下し、2021年時点で世界第24位にまで凋落している。この間、2015年には、勤労者の平均賃金が韓国に抜かれている。また、国内の経済格差は拡大の一途であり、子供食堂は6,000箇所を超えている。もとより、国力は経済力のみで表されるものではなく、政治的影響力や軍事力も重要な要素であり、また文化的影響力など数値化し難い領域もある。そのことを勘案してもなお、日本が成長や成熟ではなく、衰退しつつあることは歴然としていると思う。

 2020年1月に新型コロナ・ウイルスのパンデミック騒動が始まって(起こされて)以来、私は、海外には行っていないが、その前の数年間に訪問した国々のことを思い返すと、中国、韓国、台湾などの東アジア諸国は、少なくとも都市部は、どこも活気に溢れていた。どの国にも光と闇の部分があるが、社会全体として見ると、いずれも活力が感じられた。街往く人々も、暗い顔をした人はほとんどおらず、特に中国と台湾は、明るい顔つきの人の方が多かったように思う。どこの国にも、スマホでゲームやSNSに夢中の若者が多かったのは、日本と同じであったが。しかし、いつも日本に帰った途端、通りを歩く人々の顔つきに明るさはほとんど見られず、社会全体に何かどんよりとした空気が流れているように感じられた。あえて一言で言い表すなら、閉塞感に覆われている状況である。恐らくは、数十年か、それ以上の前から、その閉塞感は存在したのだろう。しかし、特に、21世紀に入ってから、それが重みを増したように思える。安倍首相の治世において、それはさらにブーストされたと言えるのではないか。

 なぜ、日本だけがこのような状況に陥ってしまったのか?様々な理由があり、その1つ1つにもっともな根拠があると思う。ならば、それらには根本的な原因があるのではないだろうか?勿体ぶらずに私の見立てを書くが、日本の衰退と劣化の根底には、霊的理由が存在すると思う。それは、日本と日本人が、神から与えられた使命を遂行し、神の祝福を受けることを妨げている、霊的覆いであり、呪いである。では、いつ、どのような形で、それが日本にもたらされたのか?大東亜戦争と称された、一連の戦争からか?あるいは、統一教会などが日本を卑しめる根拠とする日韓併合からか?それとも、明治維新と呼ばれる、武力クーデターと、その後の国家神道の創出からであろうか?それらの出来事が、いずれも日本に苦難を招いたことは事実であるが、私は、さらに歴史を400年ほど遡った時代に、現代にまで至る霊的覆いと呪いの根本原因があったと考える。

 その根本原因とは、キリスト教禁教と鎖国である。教科書的には、日本にキリスト教が初めてもたらされたのは、1549年に、カトリック宣教師のフランシスコ・ザビエルによってである。しかし、原始教会と呼ばれる初期の教会は、熱烈に世界宣教を進め、しるしと不思議の伴う彼らの宣教活動は、エルサレムから始まり、瞬く間に世界中に拡がって行った。今日では、遅くとも紀元70年頃までには、オイクメーネとして認識される、人々の居住地域のほとんどに福音が宣教されていたとの見方もある。当然のことながら、日本にも、その頃、原始教会の宣教師たちが到来していたはずである。その後、時代は下り、3世紀から7世紀頃にかけて、ネストリウス派キリスト教(景教)を信奉していた秦氏が、数万人かそれ以上の規模で波状的に大挙して渡来している。ザビエル渡来以前のキリスト教は、神道や仏教とも次第に融合し、その本質を失っていったものの、それは国家的に明確に拒絶された結果と言うよりも、文化的に習合されたことが大きな理由であったと思う。記録が残っている限りでは、1587年に豊臣秀吉が、伴天連追放令を発布したのが、日本が国家的にキリスト教を拒絶した最初である。秀吉は次いで1597年2月5日に、外国人宣教師6人と日本人信徒20人の計26人のクリスチャンを処刑し、以後明治初期に至るまで、日本の大地に夥しい義人らの血が注がれることになったのである。それは播かれた福音の種であったが、同時に、秀吉の暴虐は、悪魔が日本に呪いをもたらす扉を開けてしまったのだ。

 豊臣秀吉によるキリスト教禁教は、江戸幕府を開いた徳川家康が1614年に発布した禁教令によって強化され、およそ270年に及ぶ徹底的な弾圧が続けられた。同時に、鎖国政策が採用され、海外との貿易は厳しくコントロールされ、限定的な規模でのみ続けられた。鎖国以前、日本からは、主として貿易のため、また、修道士や神学生らは、キリスト教神学の学びのため、多くの日本人が東南アジアを中心に海外に雄飛していた。御朱印船による貿易の最盛期には、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイなどに、それぞれ数千人規模の居留民が定住する日本人町が形成されていた。この頃、タイ国王に将軍として仕えた、山田長政の話は有名である。当時、大半の日本人は農民として、生まれ育った土地あるいはその周辺から離れることなく生涯を過ごしたであろうが、それでも、16世紀末頃からの約1世紀の間に、延べ10万人以上の日本人が海外に渡航したと言われている。当時も、日本人の特性の中には、いわゆる島国根性があったのかも知れないが、一方では、開明的な思考と未知の世界に飛び込む勇気と冒険心を持った日本人も多かったのである。鎖国政策は、日本人の思考と行動様式を徹底的に内向きなものに変え、出る杭は打たれる同調圧力の高い日本社会へと変貌させた。

 なお、豊臣秀吉や徳川家康がキリスト教禁教に踏み切った理由の1つとして、キリシタン大名による日本人奴隷50万人の海外輸出に激怒したためという説があるが、この説は、同志社大学の前身である同志社英学校に在学中に洗礼を受け、後に信仰を捨てて背教者となった(初めから、霊において新しく生まれ変わってはいなかった。)、明治から昭和にかけてのジャーナリスト徳富蘇峰が最初に唱え、後に作家鬼塚英昭が50万人説を書いた、歴史の捏造である。戦国時代に、不幸にして海外に売られた数百か数千の人々はいたのであろうが、支配者にとって都合の悪いことは、全て少数派や被迫害者に責を押し付けることは、どこの国の歴史でも見られたことである。歴史にイフは無いと言うが、仮に秀吉や家康がキリスト教との融和策を採っていたならば、日本は400年前に、アジア初のキリスト教国となっていたのかも知れない。だが、それならそれで、古代より続く悪魔崇拝者らによる世界制覇計画の前に敢然と立ちはだかることになり、非白人国家である日本は彼らの重点攻撃目標となって、遅かれ早かれ地上から抹殺されていたのかも知れない。神の歴史の大経綸の中では、禁教や鎖国の歴史も、日本人にとって益へと変えられるのであろうか。

 今回の記事で、特にキリスト教禁教、すなわち、創造主たる神を信じることを禁ずることは、神に対する国家的叛逆であり、その国と民とを神の祝福から遠ざけ、呪いを招くことを書いた。だが、これは何も日本に限った話ではない、かつて自他共にキリスト教国とされていた国々であっても同じ法則の下にある。悪魔崇拝者らが国家指導者層に浸透している欧米諸国の中には、キリスト教宣教に対して、巧妙に制約を加えようとしている国々もあるが、それは国家的祝福の喪失につながるであろう。また、旧ソ連や中国など、神を認めない共産主義国家も同じである。今は強力に躍進し覇権国となっている中国も、キリスト教弾圧を止めなければ、いずれソ連のように体制が崩壊する日が来るのは必定である。一方で、神に叛いていた国が悔い改めて、神に立ち返るのであれば、国の罪は赦され、イエスの血潮の力で呪いは打ち砕かれる。具体的には、国家指導者を含めた国民の多くが神を信じ、その教えを守り行おうとするならば、神は、その国に平和と繁栄を回復してくださる。堕落と衰退の途にある日本であるが、まだ回復と再生のチャンスは残されていると信じたい。

「いつまで 浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち 不遜な者は不遜であることを好み愚か者は知ることをいとうのか。 立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら 見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ わたしの言葉を示そう」(箴言 1:22-23 新共同訳)
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これから日本と世界に起こること(記事No.130)

 現在進行中の日本と世界の状況を観察していると、それぞれ異なる様々な動きが、1つのゴールに向けて進んでいるように思える。日本では、安倍元首相の国葬が、国民多数の反対を無視して強行されようとしている。国会の決議も無しに、法令の拡大解釈を根拠に行われる訳で、国民の意見などには耳を傾けないと言う、独裁国家さながらの乱暴な政治姿勢である。カルトに支援された自公政権の本質が、如実に現されていると言えよう。その一方で、第2次安倍政権以来加速した円安政策の「成果」により、日本円は対米ドル以外にも各国通貨に対しても軒並み円安が進み、資源や食料品などの輸入価格高騰により、じわじわと物価上昇が続き、国民生活は苦しくなって来ている。日本の為政者たちが、日本と日本人とを愛さず、外国の利益ばかりを優先する「売国者」であることは非常に残念であり、憤りを禁じ得ない。

 旧約聖書に記録されたイスラエル民族の歴史を見ると、王が創造主である神を畏れつつ政を行うとき、国は栄え安定し、民は幸福を享受している。だが、王が神を畏れず、偶像を崇拝して暴政を行うとき、国は不安定になり、民は苦しみ、やがて敵国に蹂躙される。翻って、現代の諸国はどうであろうか?日本だけでなく、歴史的にキリスト教の影響を強く受けて来た、欧米諸国においても、神に叛逆する為政者たちが多く存在する。国々に、神の裁きが下されるのは必然であろう。日本の場合は、そう遠くない将来、震災級の地震や噴火が起こると予想する。その時、再び原発事故が起これば、規模によっては、日本列島が広範囲に汚染され、多くの人々が故郷を失うことにもなるだろう。また、来年以降、食糧危機が起こる可能性がある。1994年に起きた米不足の再来であるが、今度は小麦など他の農作物にも及ぶであろう。米は精米だけでなく玄米でも備蓄し、塩、味噌、醤油なども十分蓄えておく必要がある。

 海外に目を転じるなら、ウクライナ戦争と新型コロナ・パンデミックという大きな要素が、世界中に影響を及ぼしている。ロシア軍は、侵攻以来終始ウクライナ軍を圧倒しており、小規模な戦闘でウクライナ側が勝利することはあっても、大勢は既に決している。NATO諸国の武器・弾薬供与がストップした時が戦争が終わる時でもあるが、彼らはウクライナ人がどれほど犠牲になっても、戦争を止めさせるつもりは、今のところ無いようである。侵攻を理由とした対ロシア制裁では、ダメージを受けているのは、制裁対象のロシアではなく、西側諸国、特に西ヨーロッパ諸国の方である。ロシアからの天然ガス禁輸により、それらの国々では、電気・ガス料金が急激に上昇しており、ロシア産天然ガスへの依存度が高かったドイツなどでは、規模の大小を問わず操業停止した工場が増加しつつあり、小規模店舗などは電気料金の高騰に耐えられず、閉店するところが続出していると聞く。ドイツで施行された新・省エネ規制では、企業や公共施設における冬期の室内暖房温度は19℃までとされた。スイスでは、一般家庭を含めた暖房温度規制が導入され、同じく19℃以下の制限が課せられることになり、違反者は罰金または最長3年の懲役刑に処せられると言う。自由主義の優等生であった諸国が、急速に全体主義的な色彩を帯びるように変貌しつつある。ショック・ドクトリンの、分かりやすい事例ではあるが。

 ウクライナ戦争を起こした者たちの意図は、ロシアの国力を消耗させるだけでなく、それ以上に、西側諸国を弱体化させることにあると思われる。そして、第3次世界大戦へと世界を導こうとしている。9月15日、ロシア外務省のザハロワ報道官は、「アメリカ政府がウクライナへの長距離ミサイル供給を決定すれば、レッドラインを超え、紛争の直接の当事者になる」と語ったが、これは射程300キロの短距離弾道弾ATACMSのことを指し、ウクライナ領内からロシアを直接攻撃可能である。アメリカの出方次第では、米露核戦争、すなわち、第3次世界大戦勃発の危機が再び高まるだろう。この他にも、イランの核開発に対して、1981年6月にイラクで建設中の原子炉を爆撃したように、イスラエルが空爆で阻止を図る可能性もあり、仮に実行されれば、中東発の第3次世界大戦となる可能性が高い。

 もう1つ、世界中に大きな影響を与えて来たのが、新型コロナ・パンデミックである。コロナ・ウイルスなど本当は存在しないと言う説もあるが、人工的なウイルスである可能性の方が高いと考えられる。少なくとも、中国・武漢のコウモリ由来のウイルスというのは、今となっては極めて怪しげな話である。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が9月14日に発表したところでは、新型コロナ・ウイルスのパンデミックは、終息が視野に入ったとのことである。WHOは、2019年時点でアメリカが最大(15.9%)の資金拠出国であるが、2番目は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(9.4%)であり、ビッグ・ファーマーと呼ばれる大手製薬企業の影響力が強い組織である。新型コロナ・ワクチンで人々の命と健康を踏み台に、巨額の利益を得て来たこれら製薬会社であるが、コロナ・パンデミックの化けの皮が次第に剥がれつつあることで、サル痘か天然痘かは未だ分からないが、次のパンデミックへ移行する布石としての、今回のテドロス氏の発言であろう。

 さて、本記事の冒頭に、「1つのゴール」と書いたが、これは、世界統一政府の樹立のことである。これまで、本ブログでも度々書いて来たように、世界各国で指導的地位に就いている者たちや、多国籍企業を支配下に置く超富裕層らを中心とした、世界制覇を目的とする集団があることは、決して陰謀論ではなく、陰謀そのものが存在していると言うことである。彼らの中には、クリスチャンやユダヤ教徒を装っている者たちもいるが、実際は、ことごとく悪魔崇拝者たちである。神によって創造された人間は、自然の成り行きで罪を犯し堕落したのでは無い。最初の人アダムと彼の妻エバは、悪魔に誘惑されて神に叛く罪を犯した。悪魔は天使長の1人として神に仕えていたが、自分が神になろうとして、天から追放され地に投げ落とされた、3分の1の天使が、悪魔となったかつての天使長に従って、同様に天から追放された。時系列的には、その後も、人間の女性の美しさに欲情し、彼女らを妻とした堕落天使たちがいたことが、創世記第6章に記述されている。このことは、大洪水による世界の裁きの原因ともなった。

 今日の日本と世界の状況を見るとき、ノアの箱舟の物語としても知られる、大洪水の前の世界に似ているのではないかと思わされる。実在の生物(堕天使と人間の女のハイブリッド)としてのネフィリム(巨人)こそいないものの、人間社会の堕落した状況は同様ではないだろうか。そうなると、待ち構えているのは神の裁きであり、世界の破局である。私は、クリスチャンは世界に訪れる大患難の7年間を地上で守られる(患難末期または患難後携挙説)との聖書理解であるが、クリスチャンは大患難の直前に天に携挙される(患難前軽挙説)と考える人も多い。仮に患難前携挙説が正しければ、この世界は、いつ携挙が起こってもおかしくはない段階に来ていると思う。どちらの説が正しいにせよ、世界はもう、そこまで到達してしまっているのだ。神に立ち返り、その庇護のもとに入ることが、命を守るための最も確実かつ唯一の方法である。それは、イエスを救い主として信じることである。私は、日本に、世界に、再生と回復の機会が与えられることを祈っているが、世の終わりの時を定めるのは、父なる神の主権である。再臨のイエスは、もう門口まで来られているのかも知れない。

「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう」(マタイによる福音書 24:37-39 口語訳)
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安倍氏「国葬」の愚かしさ(記事No.129)

 故安倍元首相の国葬が9月27日に実施される予定であるが、世論調査でも軒並み反対論が賛成論を上回っている。国葬を実施するための法的根拠があやふやであったり、数十億円かそれ以上にもなると予想される開催費用など問題は多々あるが、それらは各種メディアによって取り上げられていることから、本ブログでは掘り下げない。私としては、霊的見地から、安倍氏「国葬」について書くことにしたい。

 さて、読者の皆さんは既にお分かりのように、故安倍元首相は、彼の支持者らが主張するような保守政治家ではなかった。彼の本質は、統一教会という反日団体と親密な関係を有する似非保守政治家であった。また、アメリカへの従属関係を深化させたという点においても、決して愛国的な人物ではなかった。それに加えて、小泉政権以来、いや、中曽根政権以来の新自由主義的政策を継承し、国民を貧しくし、国力の弱体化を進めた、「売国政治家」でもあった。この期に及んでも安倍氏を真の保守政治家と誉めそやす人々は、ポジショントークで語っているか、あるいは、本質から目を背けているかのどちらかであろう。

 これまでの自公政権の政治姿勢からすると、どんなに国民多数の反対があったとしても、国葬実施は既定路線として、見直す考えは無いのであろう。そうなると、9月27日には「国葬」が実施される。それは日本にとって何を意味し、どんな結果をもたらすのか?およそ国葬とは、被葬者を国家の英傑と見做して顕彰また追悼し、その遺徳を全ての国民の記憶に留める効果が期待されるのだと思う。今回の「国葬」により、安倍氏による都合が悪い行跡については、今後政府による記憶及び記録の編集が行われることになるだろう。これまでもそうであったが、以後は、「偽りの霊」が日本国家に、より強力に巣食うことになる。

 また、ここでも、安倍氏と統一教会の密接な繋がりがキーポイントとなる。反日カルト団体の統一教会の背後には、彼らを動かす悪霊たちが存在している。仮に、それらを総称して「統一教会の諸霊」と言おうか。安倍氏の「国葬」は、その「統一教会の諸霊」の悪しき働きを、国家的に追認することにもなる。単に統一教会の数々の悪行が免責されるだけでなく、それらに承認を与えることになるのだ。これは、決して深読み過ぎということでは無いと思う。何故なら、人と人との間でも、組織と組織の間でも、親密な関係が存在するなら、少なくとも、そこには信頼や友好が伴う。逆の場合には、不信や敵対がある。安倍氏の場合には、たとえ当人が意識していなかったとしても、「統一教会の諸霊」と親密な関係が存在していたはずである。

 このままでは、安倍氏「国葬」を契機に、日本に働く悪霊共の働きがより活発になるだろう。それらは、安倍氏が十分には成し遂げられなかった、日本弱体化の旗振り役を誰かに受け継がせ、この国をさらに下降させ堕落させるだろう。「国葬」は、悪霊共がそのための足場を固める契機になるだろう。国民多数の反対の声を聞かずに、「国葬」をごり押ししようとする、岸田首相を始めとする政権幹部らの罪は重い。結局のところ、彼らもまた、悪霊共の強い影響下にあるのだろう。やはり、統一教会と創価学会というカルトの支援を受けているだけのことはある。安倍氏は、日本を衰退させた政治家であったが、「国葬」には、その政治姿勢や政策が後継者たちに受け継がれるという、宣言の意味もあると思われる。

「あなたの目も心も不当な利益を追い求め 無実の人の血を流し、虐げと圧制を行っている。 それゆえ、ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムについて 主はこう言われる。だれひとり、『ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹』と言って彼の死を悼み 『ああ、主よ、ああ陛下よ』と言って、悼む者はない」(エレミヤ書 22:17-18 新共同訳)


 現時点では、ほとんど実施が不可避となったような「国葬」であるが、土壇場で中止となる可能性が全く無い訳ではない。その場合は、神の超自然的な介入により政権に恐れが生じるケースと、大地震などの大規模な自然災害が起きるケースとが考えられる。後者の場合は、神の裁きと言うよりも、警告と国家的悔い改めの促しのため、あえてそれが許されるということであろう。私としては、岸田首相ら国家指導者たちが、これ以上愚かな選択を続けないように祈りたい。
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