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ウクライナ戦争1周年に想う(記事No.144)

 昨年2月24日にロシアがウクラウナに侵攻を開始してから、満1年が経った。本ブログでも、ウクライナ情勢に関連した記事を度々書いて来たが、このタイミングで現状の評価と今後の予測に少し触れておきたい。この戦争勃発当初より、私自身の見方は、ロシアが圧倒的に優勢であり、ウクライナは決して勝利出来ないというものであって、それは現在も変わっていない。アメリカを中心とするNATO諸国は、ウクライナ防衛を支援している体裁をとりながら、ロシアを追い詰め、第3次世界大戦の火蓋を切らせようとしていると考える。もちろん、それは各国の腐敗した指導者など、悪魔崇拝のグローバリストらの策略であり、いずれの国でも国民はそれを望んでいない。ロシアとしては、彼らの思惑は当初から見透かしており、対露制裁など西側の行動を逆手にとって、エネルギー供給の遮断などで、彼らの側を弱体化させる戦略であると想う。

 およそ戦争とは、ほとんどの場合、当事国のどちらかが100パーセント悪であったり、正義であったりということは無い。今回のウクライナ戦争でも、それは当てはまる。私は、ロシアが一方的に侵略国であり、ウクライナは果敢に立ち向かう正義の国であるという見方をとらない。この戦争を望み、計画したのはNATO諸国の側であって、ロシアでは無かった。その多くの証拠がある中、ここでは1つだけ面白い発言を取り上げたい。ドイツのメルケル前首相の発言である。彼女は、2022年12月7日に公開されたドイツ紙とのインタビューで、「2014年のミンスク合意はウクライナに時間を与える試みだった。」と語った。また、「2014年から15年にかけてのウクライナは今ほど(の戦力)ではなかった。」とも語り、ウクライナ軍の増強に一定の時間が必要だったとの認識を示した。これが、NATO諸国の指導者らの実態であろう。
 
 ところで、ロシアのプーチン大統領は、2月21日、議会において年次教書演説を行い、この模様は全国に中継された。ロシアの通信社スプートニックのホームページには、日本語版の全文も掲載されているが、その中で気になった箇所を以下に引用したい。

「だが彼らは戦場でロシアに勝つことは不可能だと認識しているため、我々に対してますます攻撃的に情報攻撃を仕掛けている。彼らが標的はもちろん若者たち、若い世代だ。そしてここでも彼らは終始嘘をつき、史実を歪曲し、我々の文化、ロシア正教会、我が国に昔からある、他の宗教組織への攻撃を止めようとしない。彼らが自国の民に何をしたかを見てほしい。家族、文化、国民のアイデンティティを破壊、(性的)倒錯、児童虐待、小児性愛に至るまでがノーマルなことだと宣言され、聖職者、神父は同性婚を祝福するよう強制されている。勝手にやるがいい。ここで何を言いたいか。大人は望むように生きる権利を持っている。ロシアもこのことには同じ態度をとってきたし、これからも常にそうする。誰も私生活に立ち入らないし、我々もそうするつもりはない。西側世界の何百万人もの人々が、自分たちが正真正銘の精神的破局に導かれていることに気づいている。はっきり言ってエリートたちは気が狂っており、もう手の施しようがないようだ。それでも、前に言ったようにこれは彼らの問題であり、我々がすべきことは子どもたちを退廃と退化から守ることだ」

 このプーチン氏の発言を読み、改めて感じたことは、彼はロシアを政治大国、軍事大国、文化大国、経済大国として発展させたいだけでなく、道徳大国としても世界に誇れる国としたいのだと言うことである。翻って、日本を含む西側諸国の現状はどうなのか?アメリカは確かに、政治、軍事、経済において世界トップの大国である。だが、彼らの文化は、世界に何をもたらして来たのか?道徳においては論外であり、毎年各地で、白昼公然と同性愛者のフェスティバルが開催されているような有様である。最も邪悪なことは、先進国とされる諸国で、プーチン氏が指摘しているように、児童に対する性的虐待が横行していることであろう。これは発展途上国における問題でもあるが、アメリカなどの先進諸国においても重大問題である。特に、各国の指導者や既得権益階層の人々の間において、このような悪癖が顕著に実践されている。彼らは、精神が倒錯した悪魔崇拝者たちであるか、文字通りの変態であり、後者は日本人の中にもいる。

「聞け、このことを。ヤコブの家の頭たち イスラエルの家の指導者たちよ。正義を忌み嫌い、まっすぐなものを曲げ 流血をもってシオンを 不正をもってエルサレムを建てる者たちよ。 頭たちは賄賂を取って裁判をし 祭司たちは代価を取って教え 預言者たちは金を取って託宣を告げる。しかも主を頼りにして言う。『主が我らの中におられるではないか 災いが我々に及ぶことはない』と。 それゆえ、お前たちのゆえに シオンは耕されて畑となり エルサレムは石塚に変わり 神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる」(ミカ書 3:9-12. 新共同訳)


 今、ウクライナ戦争を拡大させ、第3次世界大戦に導こうと画策しているのは、そのような者たちである。彼らは、プーチン氏率いるロシア人の敵であるが、同時に、世界の全ての人々の敵ではないだろうか?アメリカの属国である日本が、政治的中立を保てないのは残念であるが、国民としては、一方的な善悪二元論に立って考えてはならないと思う。これは、ウクライナだけの問題ではなく、世界の現在と近未来に関わる問題である。今後も、世界は危険な綱渡りが続くだろうが、第3次世界大戦の勃発に至ることが無いことを願い、平和のために祈る。
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良心に従って生きることの幸い(記事No.143)

 これまで報道されているように、2023年2月6日の現地時間早朝に発生した、トルコ南東部を震源とする地震は、同国とシリアの一部に甚大な人的・物的被害を与えた。発震前に、上空にバラの花のような形をした不気味な赤い雲が出現したり、大規模な青色発光現象が観察されたことなどもあり、一部には、人工地震ではなかったかとの疑念も囁かれている。本記事では、その可能性も捨て切れないとだけ書いておきたい。国際社会からの支援がトルコに偏重しているようであるが、これは西側諸国にとっては、親ロシアの立場を明確にしているシリアよりも、NATO加盟国であるトルコの方が支援の優先度が高いという、両国と世界に向けてのメッセージではないだろうか。

 さて、次々に伝えられる現地レポートの中で、特に私の関心を惹いた記事が1つあった。時事通信社電子版ニュース2023年2月13日付記事は、対照的な2つのエピソードを次のように伝えている。

「南部アダナ県では14階建ての住宅が完全に崩壊し、近隣住民らに衝撃を与えた。元アダナ市長で土木技師だったアユタチュ・ドゥラク氏は倒壊現場で取材に応じ、『柱のコンクリートと鉄筋の結合が弱く、コンクリートの材質も劣悪だった』と散乱した残骸を手に語った。ドゥラク氏によれば、業者が建設コストを低く抑えるため材質が二の次になっている。トルコ当局も安全基準を満たさない建築物について、手数料を支払って特別許可を得ることで行政処分を免除する措置を導入していた経緯がある。こうした状況で倒壊が相次いだことから、多くの市民は『人災だ。殺人行為に等しい』と政府と業者への非難を強めている。一方、今回の地震によりトルコ国内で最も深刻な被害が出ているとみられる南部ハタイ県の中でも、エルジン地区ではほとんど被害が出なかったという。同地区のエルマスオール区長は地元メディアに『私は一切の違法建築を認めず、ばか正直だと業者の怒りを買った。いま良心に従って本当に良かったと思う』と語った」

 日本と同様に、地震多発国でもあるトルコには、それなりの建築安全基準が定められているようだが、どうやら手抜き工事が横行していたと思われる。記事によれば、手数料を支払って特別許可を得る手法が採られていたそうだが、官民の癒着そのものであり、賄賂の授受も当然行われていただろう。これはトルコに限らず、日本を含めた各国の様々な許認可事業で共通する宿痾であろう。だが、一方で、いくら賄賂を積まれようとも、あるいは脅迫されようとも、自分の良心に従い続ける人々もいる。今回紹介した、同国エルジン地区のマスオール区長も、その一人であった。彼が、その職務を遂行する時に自分の良心に従ったことが、地区住民の命と財産を守る結果につながったのである。

「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています」(ローマの信徒への手紙 2:13-15 新共同訳)


 同様に、良心に従った日本人の首長のことを、以前に本ブログでも書いたことがある。以下に、2021年8月20日付記事「横浜の命運はいかに(記事No.30)」の一部を再掲したい。

「当時の札幌市長は、弁護士出身の上田文雄氏であった。上田氏は、震災瓦礫を受け入れることを、きっぱりと拒否したが、その決断に対しては、札幌市民からだけでなく、全国から応援と批判の声が彼の元に寄せられた。2012年4月7日の北海道新聞のインタビューで、震災瓦礫を受け入れない理由をこう語っている。『受け入れないと判断したことが、後日歴史的に誤りだったと評価されても、市民の安全は守られ、私が批判されれば済みます。受け入れて間違いだったと分かるときは、市民に被害が出ている。私にはそれは耐え難いのです』 私は、上田氏の判断は正しかったと思う。震災瓦礫を受け入れた自治体の住民にどのような健康被害が出ているのかは、政府も当該自治体もその種の調査をしていない(あるいは密かに実施していても公開しない)以上、これまでのところでは断定的なことは言えない。しかし、少なくとも、札幌市民には被害が出ていないことは断言できるであろう。ある人が、上田市長と震災瓦礫を受け入れた他の首長の判断とを対比して言った、『この世は、トップの考え方で、天国にも地獄にもなる』」

 時に、各国では、新型コロナ・ワクチン接種による夥しい数の有害事象が顕在化しつつあるが、これを推進した者たちに、果たして良心はあったのだろうか?日本では、ワクチン被害者やその遺族らの責任追及を求める声を意識してか、河野太郎元ワクチン接種推進担当大臣が、「運び屋の自分が後遺症の責任を取るなどと口にしたことはない。」「反ワクチン派によるデマだ。」と述べたそうである。同様に、散々ワクチン利権の恩恵に浴しながら、風向きを見て口を閉ざす者たちがいる。彼らは、良心に背いてまでも、自らと属する集団の利益を飽くなく希求した訳であるが、いずれ蒔いた種を刈り取ることになるだろう。日本人は、全てを統べ治める神を信じていなかったとしても、「お天道様が見ている」との意識を子供の頃から植え付けられていたはずだが、それも今は昔か。ならば一層、神を信じる者は、良心に従って生きることを心がけねばなるまい。
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